松平時代の唐津藩家老永江家に伝わる具足で、元禄年間(1688-1703)のものと説明されています。

紺糸威錆地桶側二枚胴具足
(元禄年間1688~1703)
南蛮大筒
(正保元年)1644年

正保元年(1644)、唐津湾に黒船が入ってきました。寺沢2代目藩主堅高は、黒田藩などの助力を得て、焼き討ちにしました。この大砲は沈没した黒船から引き上げたうちの一門だといわれています。

 

朝鮮軍馬鞍
(文禄・慶長の役)

文禄・慶長の役の際、水軍として従軍した九鬼義隆が入手したもので、後に九鬼家の所有となりました。

 

安田作兵衛の槍
(16世紀ごろ)

明智光秀の家臣で、「明智三羽烏」といわれた安田作兵衛は、本能寺の変で織田信長を槍で突き、光秀のクーデターを一瞬成功させます。その後、名を天野源右 衛門と改め、羽柴、蒲生、立花と戦国時代の有力武将に使え、最終的には寺沢志摩守に8千石で召し抱えられました。この槍はその時のもので、長く弓鷹町の浄 泰寺に保管されていました。

 

唐津城下俯瞰図
(1836~1890)

庄内藩士の子で、狩野派に学び、後に唐津藩の絵師となった長谷川雪塘(1836-90)の作品。

 

城下町ジオラマ

唐津城大手口を中心に当時の町並みを再現しており、ジオラマ手前のボタンを押すと「唐津町づくし」が聞こえてきます。

さやに納まる刀町
日々にあらたに新町の
御代泰平の平野町
齢重ぬる八百屋町
みのりも豊かに米屋町
紺屋町なる染物を
積み重ねたるが呉服町・・


【*「唐津町づくし」一部抜粋】